タイミングの重要性

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 昨日は母の日。家族を持って、子どもがいる私にとって、母の日は2つの意味がある。もちろんは、私にとっては母一人。それでも、特に子供がまだ小さい家庭にとって、母≒妻でもある。これは、説明するとややこしいが、そんなものだ。

 昨日は朝から子どもたちに、「今日は母の日だから、(だからは余計だが)母ちゃんが喜ぶことを3人で考えてね。」と伝えて、日課の夫婦の朝散歩に出かけた。朝6時に出されるミッションに、3人は少し戸惑い気味だったが、40分後に帰宅すると、玄関がきれいに掃かれ、靴がきれいに並び、私たちのスリッパも準備してあった。台所からはイチゴのパンの香り。掃除機をかけ、部屋を整頓、朝食も準備されていた。嬉しい瞬間である。5歳、9歳、11歳の話し合いや行動を見ることができなかったのは残念だが、心地よい朝食に、私が一番喜んでいたかもしれない。

 私にとっての母の日は、大げさに言うと毎日。結婚してからの13年、専業主婦として、素晴らしい関わりで3人に深く関わり、寄り添った妻に毎日少しずつ感謝を行動で伝えている。正確には、仕事が少し落ち着いたここ数年だが、できる範囲で家にいる時は協力して家事に取り組んできた。母の日だからの○○より、日常の小さな心遣いが私も嬉しい。きっと妻も同じはずだ。

 一年に一度の誕生日や父の日母の日。私たち夫婦は、決まってリクエストなし。「何かやりたいことないの?」「何か食べたいものないの?」「何か買いたいものないの?」質問の答えも「別に…」となる。これこそ幸せの証だと私は勝手に思っている。

 記念日に特別なものを求めない、もう一つの理由は、必要なものは、必要な時に買ってきたからともいえる。普段から質素倹約を貫く我が家も、必要と判断すれば、いつもより大きくお金を使う。大切なのはタイミング。コップ一杯の水も飲むときの喉の渇きで、価値が変わる。タイミングが命だ。

 母の日に話を戻そう。自分にとっての母への感謝は、妻にも増して伝えることが難しい。正確には恥ずかしい。母の日や父の日、両親の誕生日を迎えるたびに、自分はまだまだ未熟だと感じる。感謝をちゃんと伝えられる人でありたい。子どもたちにもそうなってほしいと心から願いながらも、自分が十分にできていない現状。修行が足りない。そうもうための日にしないようにしないと。

 昨日も母に直接聞きにくいものだから、末っ子に母の日にやりたいことを聞き取り依頼。母が昨日やりたいことを3つ中2つ叶えられた。これが今の自分。成長して、来年の母の日を迎えたい。しっかり頑張れ38歳の情けない自分。

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