6月16日の朝5:04
久しぶりのブログに手を付ける。
完成度や統一感を意識し始めるとブログが進まない。
どうせ誰も読まない。自分のために備忘録として再開しよう。
修正や改善は後からすればいい。
うまく行かない時、決まって自分は準備中。
あれもしたい。これもしたい。そんな思いだけで空回り。
何もしていないわけじゃない。
役割だってある。それでも、理想とのギャップにモヤモヤが止まらない。
これまでだってそんなことの繰り返し。
ただ、そこに仕事があったから、毎日同じようなことを繰り返すだけで
当たり前のように、改善ではなく年を重ねただけで給与が増えていった。
公務員からフリーランスになる時の感覚は、恐怖感90%。
意外にも40歳を前に挑戦できるワクワク感が10%もあった。
この10%がなければ、きっと挑戦んしなかっただろうなと、今更考える。
前置きはこれぐらい。
ブログの再開は、自分の備忘録。
移住してから2ヶ月と10日。
私たち夫婦の出発前の最初の目標は概ね達成された。
最初の目標は、
「3人が学校に慣れること」と「生活が落ち着くこと」
3人の学校については、予想以上に早く馴染むことができたようだ。
3人にとっては初めての転校。学校が変わるだけでも大きなストレスがあっただろう。
長男は小学生から中学生に。次女は園児から小学生に。カテゴリーが変わるタイミング。
長女は多感な中学年から高学年となる5年生に。
極め付けは住む国が変わること。
どんなにうまい説明を聞かされても、そう簡単に理解できない状況で、
親のわがままに付き合ってくて本当に感謝している。
親と子どもも人と人。
相手の状況を想像し、理解しないと寄り添えない。
本当によく頑張ってくれてありがとう。改めてそう感じる2ヶ月間だった。
「生活が落ち着くこと」これには、妻の存在が不可欠だ。
日本にいる時から十分理解していたつもりだが、
妻が、この移住を尊重してくれたから今がある。
私のことをよく知る人ほど、移住を決めた時決まって「奥さんすごいな」と呟いた。
今では、その意味が数十倍身に染みる。
移住して数週間後、私以外の家族が次々に病気で寝込んだ時、
本気で帰国することも考えた。
妻までダウンした時、一人でやることが増える。
体力は気合いで何とかなったが、心がもたない。そう感じた。
異国の地でのトラブルで、最大の敵は頼る相手がいないこと。
両親や友人の存在の偉大さも同時に学んだ数週間だった。
30分と決めたブログ時間。中身も誤字もあるだろうが、このままアップする。
続きと修正は後で。
そうしないと、いつも準備中の人間になってしまうから。
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