幸せのヒント

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 日本中の家庭や学校で繰り返し説かれる(家庭は家庭によるが、学校はおそらく)「あいさつ」の大切さ

 「あいさつ」と言っても、その幅が広く、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」だけではなく、「いただきます」「行ってきます」などの言葉も含めて考えてみる。

 当たり前の話だろうけれど、一人で生活している分には、あいさつをする機会は少ない。家庭もおいても、家族構成によって、環境は大きく異なる。学校は、基本的には集団生活する場。特に、日本においては、その傾向が顕著で、集団の中での立ち振る舞いを求められることが多い。

 10年以上学校現場にいて感じることは、「あいさつ」を自然にできる人が減ったこと。これは子どもに限ったことではない。急激な少子高齢化は、家族構成に変化をもたらした。

 私が小学生だった30年前。40人弱のクラスの中で、祖父母との同居をしていた子どもが、クラスの過半数だった。さらに、両親が共働き(フルタイム)であることは稀で、世の中に放課後の児童を預かるサービス自体、私の周りには存在していなかった。

 現在、状況は逆転し、祖父母と同居しない核家族化が一般的となった。加えて、両親の共働き家庭も過半数を超え、放課後の児童を預かる施設は、満員御礼だ。

 時代の変化によって起こった、家族構成の変化によって、家庭内の環境は激変し、家庭から余裕を奪ったように感じる。その状況は、皮肉なものだ。収入は増えて、同居のストレスもなくなった。なのに…収入が増えたら、得られるはずだったものがそこにはない。

 共働きで収入が増え、政府からは児童手当まで支給される。家庭収入は確実に上がったようにも感じられる。核家族化によって、同居のトラブルも減り、精神的にも余裕を持って生活できそうだ。収入の増加と人間関係の簡素化。一見、進歩したかのような家庭環境。その結果はどうだろうか。

 私たち夫婦の日課は、毎日の朝散歩。30代の夫婦で散歩をする人には、めったに出会えない。散歩は、高齢者の健康管理か犬との時間に使われているようだ。しかし、毎日軽快な会話をする私たちと、すれ違う人々の表情は、まるで違う。散歩の目的は違うだろが、早朝から散歩するのに、あいさつなし、笑顔もなしは、あまりに寂しい現実。

 今日も学校では、当たり前のように「あいさつ」の大切さが説かれていることだろう。でも、今一度考えたい。確かに「あいさつ」は大切だ。おそらく、その事実に気付いていない人はいない。それでも、自然にあいさつできる人が、日本に少なくなったんだと思う。やっぱり大切なことは、大人が率先してやろう。そう、いつも自分から。

 昨日は、子どもたちと「幸せのヒント」について話をした。朝5人の人に、「○○さん、おはよう。」と言ってみよう。それを続けた時、5人の人から「○○さん、おはよう。」と言われる日があったとする。想像できますか?(子どもたちは、にこにこ笑顔だ)

 幸せな未来は、自ら手繰り寄せることができる。想像することもできる。世界はもっとシンプルだ。子どもたちの力は無限だ。

 

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