情報社会

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 情報源は、新聞とテレビ。そんな時代の終わりが近づいている。

 これまで、自分自身も情報の多くをテレビから得ていた。(つい2年前まで)それは私に限ったことではなくて、日本全体がそうであったと思う。現実的に、会話の中で出てくる情報は、テレビから得たものが大半だった。

 しかし、インターネットが普及し、スマートフォン所有が一般化してからの変化は劇的だ。会話の中心は、ネット上のSNS上の情報だ。言うまでもなく、使い古されたテレビの情報よりもその情報発信は早く、短い言葉や時間で、相手を納得させる。さらに、市民権を得たネット社会の情報は、国民の情報源になりつつある。

 しかし、テレビや新聞の世界は、楽だった。数十程度のチャンネルや新聞社の中から、好みのチャンネルや新聞社を選び、その情報を信じればよかった時代は楽だった。

 無限に広がる情報源から、個人も発信できる時代。その影響力は、これまで以上の集中と無数の分散を繰り返している。未来は誰にも予測できないレベルで急速な変化を繰り返している。

 そこで必要となる力が、自らの頭で考え、選択する力だ。捨てる力ともいえる。情報が多すぎるがゆえに、判断は難しい。テレビや新聞から伝えられることが、基準となっていた社会とは違う。情報源が違う者同士の会話は難しい。より高度な情報処理能力や、分析力、コミュニケーション力が求められる。

 さあ、どうやってこの世界を乗り切ろうか。どうやって子どもを育てようか。

 まずは、情報源は何にしろ、情報を鵜呑みにすることなく、自分の頭で考えてみる習慣をつけよう。疑問が生じたときは、調べよう。調べる気持ちさえあれば、情報は無限大だ。そうなると、情報を調べる力が必要そうだ。3歳児の「何で?何で?」攻撃のように。

 現実世界でも、島国日本を旅出して、言語も文化も違う人と触れ合うことも大切だろう。自分の基準となる感覚を磨くことができそうだ。やることが多い。でも、やれることも多く、選択できる幸せを噛みしめ、自分の考えと穏やかな心を持っていきたい。この発信もその第一歩だ。

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