雨の日にはお気に入りの花を買おう

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 これが私の理想です。一時期「松浦弥太郎さん」の書籍を読み漁った時期があった。たくさんの書籍の中でも特に印象に残っていることが「雨の日には、近所の花屋さんに行って、お気に入りの花を買って家に飾る。」というような内容。一見映画のワンシーンのようなことだが、冷静に考えてみると、財布の中に1,000円入っていれば、誰にでもできることだ。

 当時の私が心を動かされた点は、2つある。

 1つ目は、その発想。雨の日という、多くの人にとって(もちろん好きな人もいるが続くとさすがに滅入る)ネガティブに捉えられがちなことを発想1つで転換してしまう。自然現象の雨を操ることは誰にもできない。自分にはどうにもできないことを直面した時に、どう考え、どう動くか。これは、雨に限らず重要なことだ。生きていれば困ったことにぶつかることがある。春になれば道端にもあふれる花々。探せばどこにでも花屋さんはあるし、買おうと思えばいつでも買える。しかし、私がそうであったように、特別な祝いや見舞がない日に、花を買ったことがある人はどれぐらいいるのだろうか。例えばそれが自分の為となると、買ったことがある人を探すのは難しい。雨の日には花束を。やっぱりかっこいい。

 2つ目は、価値観。その価値観は、お金に対する価値観と心に対する価値観。花の値段はピンキリだが、1,000円程度でも花が買えることは誰でも知っている。花屋でぼったくられた人に出会ったことがないので、花屋に行くことが怖い人はいないはずである。切り花の場合、数日で枯れてしまう。花瓶も必要だし、手入れも自信がない。買わない理由はたくさん思いつく。それでも、ランチ代やスイーツ代、節約貯金ではなく、花にお金を使う価値観が素敵だ。それは同時に、自分や家族の心に対する価値観でもある。数日間、花が家族や自分に与えてくれる心への影響を知っている。目に見えない価値を想像できる力とも言えそうだ。

 そんな私は、何度か何気ない日に花を買って帰ったことがある。もちろんいい思い出だ。今このブログを書きながら目の間にも花の花瓶が2つある。1つは末っ子が、集めた小さな花々。小さいな花瓶に妻が飾ってくれている。もう1つはお隣さんからの頂き物。それがなんとお隣さんが育てた花だ。雨の日には花を買うも素敵だが、育てた花を配るなんで最高の趣味だな。

 目の前の人をものをことを大切に。心の余裕さえあれば、呼吸してるだけで学べることがある。本に書かれた珠玉の言葉もいいけれど、家族の姿、お隣さんの姿、雨や花の自然からたくさんの栄養を頂いている。今日も感謝。雨にも家族にも感謝して過ごそう。そうだ、この雨が花を育てているんだな。

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