情報と家庭環境

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 テレビゲームとは無縁の幼少時代を過ごした。外で遊ぶことが好きだったし、たまに友だちの家でやるゲームにははまらなかった。両親の教育方針もあっただろうけれど、とにかく幼少期の多くの時間を外で、友だちとサッカーをしたり、ケードロ(ドロケー?)をしたり過ごした。それが一番楽しかった。

 そんな家庭環境で育つと、情報と言えば「テレビ」一色。父は地方新聞を購読していたが、私が見るのはテレビ欄とスポーツ欄ぐらい。テレビ≒娯楽。娯楽の要素が95%で5%(これもスポーツ・天気・ゴシップ)が情報のような感じ。

 つまり、高校を卒業するまでの私は、テレビから情報を得る学生だった。今考えると、世界の狭さが恐ろしい。

 大人になった人間にとっても、自分が育った家庭環境を大きく影響する。知らいないうちに身に付いた、情報はテレビから。よっぽでではない限り、これまでの自分の家庭機環境を否定的に捉えることは難しい。(今が幸せならなおさらだ。)

 私は、過去の自分の家庭環境を否定的に捉えているわけではない。それでも、今同じ環境を自分が親として作るかと言われたら、答えはノーだ。それでも、自分の習慣によって、情報はテレビに偏っていた。何事もまず自分から。

 子どもたちが小さなころ、「テレビが壊れた。」と噓をついて1か月ぐらいテレビなし生活をしたことがあった。子どもたちは、まだ小さかったこともあり難なく乗り切れたように見えたが、本質的には違った。娯楽らしい娯楽が他にはない我が家にとって、四六時中幼い子どもたちと一緒にいる妻にとって、外の世界と繋がるチャンスがなくなった。子どもたちが寝静まった後、録画したバラエティーを見る時間も夫に奪われた。

 話し合い不足。子育ての大変さへの理解不足が招いた失敗。今でも反省している。

 今では、動画環境が整い、家族のテレビ時間は激減した。その分、動画視聴時間は伸びているが。私はというと、テレビはほとんど見ない。録画したサッカー番組とドキュメンタリー。1週間1時間をCMカットで視聴のみ。SNSでの発信は増えたが、SNSから流れるニュースもほとんど見ないようにしている。

 これは大人でも本当に自分コントロールが難しい。AIが仕組まれたアルゴリズムによって、私たちは知らぬ間に、各人が関心が高い(検索した)項目のコマーシャルを見せられる。テレビ以上にコントロールが難しくなった。いつもまず自分から、自分を知り、向かいたい方向に向かうために意志を持って情報を選択しよう。その姿や環境は、子どもたちの未来にもつながっている。

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