教師の常識は、世間の非常識

仕事

 残業しても残業手当はでない。(厳密には、してもしなくても一律4%出ている)残業が常態化している私の業界。店舗の開店時間より、勤務時間の設定が遅い時点で、労働環境としてまともとは言えない。もはや道徳心やボランティア精神なしには成り立たない職業である。それでいて、国の将来の左右しかねない職業。その自負で何とか成り立っているといっても過言ではない。

 先日ふと立ち寄ったコンビニ。いつもは通り過ぎる雑誌コーナーに、気になる見出しの有名雑誌を見つけた。インパクトのあるタイトルだったが、教師にとっては当間のことばかりが書かれていた。端的に言うと、教育界の超ブラックな部分について書かれていた。

 「教師の常識は、世間の非常識。」

 そんな言葉も聞いたことがある。確かに納得する部分が多い。30人規模の一斉指導が、まだまだスタンダードのこの世界。その閉鎖的な空間。担任と極端に多くの時間を過ごすが故の弊害もある。人と人、合う合わないの相性もあるし、何よりクラスのメンバーは一年間の固定制。少子化の波もあり、小規模校となると6年間同じメンバーで生活することなる。

 一昔前なら、そんな状況をプラスにとらえる人も一定数以上いたが、今はどうだろうか。子どもが親を変えられないのと同じように、子どもは自分が通う学校を選べない。オンラインがここまで普及した今、日本の教育こそが変わるときだと思う。

 それでも、教育界の形態は基本的には、50年前と変わってはいない。テクノロジーの恩恵届かず、教師の努力で補う方式には、変化の兆しがない。それでも、一定期間務めた教師は、安定した収入と社会的地位の呪縛から抜け出すことができない。

 一番の問題は、国の将来を左右するような教育界に、お金も知恵も使われていないこと。賢い若手は、教育界の異質さに早めに気づき他の業界へとかじを取っている。現状かつかつの現場の人員は、欠員状態の常態化をまねくだろう。その時もきっと、教師の努力で補う方式が採用される。

 一個人に教育界の仕組みは変えられない。私に変えることができることは、自分の勤務校。生き方を考え、働き方を見直した。

  1. 学校にいる時間を減らす
  2. 朝時間を活用する
  3. 短い時間でいい仕事見せる

 ①これまでの自主的な超過勤務を自主的な定時退勤へとシフトする。それでも、朝は早めに出勤し(これも立派な超過勤務)、勤務時間終了後は、極力早く帰宅する。慣れることが大切だ。

 ②それでも仕事が終わらないから、超過勤務がなくならない。これまで時間の不足が問題だと感じていたが、朝時間を活用することで、時間ではなく、質の問題だと気づいた。くたくたの勤務終了後の1時間の仕事は、主体的な朝仕事の15分程度の価値しかない。朝時間の生産性は4倍。(あくまで個人の感覚)

 ③朝時間の活用方法でもあるが、リミットがあることで仕事効率は格段に向上する。ここ数年間の自分実験で立証済み。これは間違いない事実だ。締め切りギリギリでは、違った緊張感があるが、締め切りが先の仕事を、リミットを自己設定して行うことはおすすめの仕事術。

 自分を変えることは簡単だ。自分の意志だけで完結する。他人を変えることは難しい。10年前の私は、仕事の仕方を語って伝えようとした。今は、姿で仕事の仕方を伝えようと心がけている。私も少しは成長した。継続してまず自分から続けて、ハッピーライフを手に入れよう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました